シの夏

平成最後の夏などと言うが、今のところ記念すべきような夏イベントはおこなわれていない。最後の夏と呼ぶにふさわしく思い起こされるのは2年前の夏。もう二度と来ないだろうと確信を持って言える季節なんてなんて奇跡なんだ。それを誰かと共有していたなんて。むせ返る匂いは夏としか呼べない、名前より実態が先に来ている、夏以外ではない時間。Qomolangma  Tomatoのライブを下北沢で観た、あれから活動休止が決まって、決まってから尊さの価値が体内で上がるなんてズルだ。でもそういうものだ。感傷でもなんでもなく、終わりに近いものはそれだけで尊い。だって終わってるんだから。かけがえがない。掛け替えがない。この世にもう存在しないのだから。

でもそんなこと言い出すと今この瞬間から全て二度と来ないので全てがそういうものじゃないかという論理になるが、体感の話だ、体感の話だし、でも別にそういうことでもなんら問題はない。息をしている。息をして生きて死に向かっている一瞬一瞬、ほんとは全て愛おしいはずだ。だから感覚を拡張して、今の尊さを胸いっぱいに吸うべきなのだ。そういう季節だ、きっと夏は。終わりと始まりが同居する季節。細胞の端々まで夜を染み渡らせろ。久しぶりにブログなんて書いたな

儚さ

なんだか泣きそうになってしまった。いつかぜんぶ消えてなくなるんだなあ、というか生まれた瞬間にもう全て消えている。覚えているというだけで本当はとっくに消えている、だから忘れても忘れなくても本当は一緒なんだ。儚さに美しさをおぼえる生物だったのか、儚いから美しく思える生物になったのか、きっとどっちも正しくてどちらも間違っている。どちらとかでなく輪郭の介在しない曖昧な合間に存在はあるのだ。そう考えていくと、あなたの血液が温度を持っていること、毎秒震えていること、消え続ける世界に熱が生まれ続けていることの全てが奇跡に思えてしまうよ。

ソラニン

「終わりがあるから美しい」みたいなの、あれずっと理解できなかったんですけど、そうじゃなくて全てのものには終わりがあるから、終わりを儚むだけでは寂しいから、せめて美しいと感じようとする心意気のことなんじゃないかと思い始めた、とTwitterに呟いたら1いいねだったのでTwitterはクソだと思った。というのは4月15日のこと。これまでの人生の色々が一瞬で繋がって、急に理解が降ってくることがある。もう1ヶ月経ってる。忘れたくないこと、覚えていたいこと、どんどん流れていく。むかし記憶力が自慢だったからメモする習慣がなかったの失敗だったな。まさかこんなに覚えていられないなんて。楽しそうな人が憎らしく思えてきたらいっかんのおわり。君に会いたいよ、滅茶苦茶にするために。君に会いたくないよ、救われないために。二度と会えない人はもう死んだ人なのに、いま生きているぼくは今まで出会った人たちによって形成されている。気が狂っている。真夜中、いつか死んでしまう両親や祖母のことを想って気が遠くなった。世界から剥がされていった。お先真っ暗な時は、駅のホームから一歩踏み出した未来の方が明確で、ただ明確であるという一点において魅力的に思えてくる。頭は冴えているのに何をする気力もないような、それ故に生きているということそれだけをただ全身で感じられているような、水面ギリギリのあの感じ、宇宙に繋がっていたり、透明だったりする、あの感じ、あの感じ、あの感じ。さよならだけが人生なら、あなたは今も人でいるのでしょうか。

食傷

大事なものなんて要らないな、大事でも大事じゃなくてもどうせいつか死ぬんだから永遠に大事にする方法が未だ見つからない、そうするとただ身が振り回されたり心が重くなったりするだけなので大事なものなんて本当に余計だと思う。自分が心地いいと思える程度の物持ちで居たいとゆう人のことを思い出す、ぼくはぼくの持ち物が心地いいという考えを持ったことがないと思う、いつまで、いくつまで、出来るだけ持ち切れるかどうか、こぼれていくものも手に余るものもどれだけ持ち切れるかをいつも考えてきたように思う。部屋に積まれてある物々も一見すると不要のように感じるのに、いざ選別しようとするとどれも捨てられないと思ってしまう。物だけじゃなく、記憶や思い出も。ぼくしか知らない感情、ぼくしか知らない世界に意味はない、ぼくがいつか消えて無くなる以上は。あなたの声をぼくは忘れない、それだけで何か出来ると思っていたけれど、それすら虫のような小ささのちっぽけなエゴだとすると、何が残るんだろう。優先度が低いというだけで、今すぐ死ぬ、は選択肢の中にいつだって存在している。こういった日々と思考を記し残すことも食傷気味だ。

酸欠

下着を履かないで寝る男の話を聞いた。肉体の外側にまとわりつくぬるさが気持ち悪いから服を脱いで眠る。皮も剥ぎたいし魂に氷を当てたい。人の匂いが無理、宙に浮くような話が欲しい、泳ぐように生きたいのにとおに川底に身を横たえている。泥が舞う、息が苦しい。元気がない。心配してくれ。

溺れている、群れが虫のよう。肉体に膜のように憂鬱がへばりついて部屋の重力がかさ増す。頭には霧がかかり未来が霞む。揺れる揺れる揺れる揺れる、頭の先から足の先まで運命的軌道に略奪される。人の思想、ゲロ吐きそう。泣きそう。頭が痛い。痛い居たい遺体、イタいイタいイタい。人間の気配りだとか虚勢だとか労わりだとか愛の全てだとか、優しい優しくないだとか正しい正しくないだとか、もうとにかく頭が痛い。気持ち悪い。BAD、剥がれそう

スプモーニと夏

顔を上げると紫の雲が空にその色を滲ませていた、自分の作った曲を聴きながら作った時のことを思い出していた。爛れた僕らは白痴のまま世界が終わっても、それでいいんだよ。君の愛の色は強い赤。熱くて眩しいそれは、ぼくが飲み干すには祝祭的すぎた。近くにいるのに、触れているのに並び立つ平行線、君の世界を愛するフリをすることで、ぼくはぼくじゃない立派な人間になれる気がしたんだ。

カーテンから差し込む光の色を今でも覚えている、立てかけられたムーのキャップも。爆炎みたいだ、まるで彩度に欠ける感謝祭。感傷がガラスの破片のように散り、刺さり、透明な血が出るけどそれはテキストに起こすだけ起こして、あとはさかなのように生きなくちゃ。ぼくら生きていたいのだけはお揃いだったよね。