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小雨が燦々と降る夜はエモい

わかってもらえなくてもいい 日々の記録

みんな宇宙だ

何かを治すために何かを作るのなら、何かを壊すために何かを作ることも最早同じことだ、この身体という器はひび割れている、日々割れている。うつくしさは琴線を揺らし、醜さはマグマを煮立たせる。毎日幸せを詰め込んでパンクしそうだから、弾けなくちゃならない。完成と未完成、感性と悲観性、黒い窓ガラス、あの日の夕焼け。口づけの甘さひとつとっても全て違う宇宙に紐解かれるから、ちゃんと笑ったり泣いたりしたい。何にもなりたくないならこれから何にでもなれるね、って言ってもらった。みんな光を秘めている。みんな宇宙だ。

春のせい

好きな季節は何?最近よく人に尋ねる、今のところ春と秋が人気、夏と冬が不人気。ぼくは夏が好き。工藤ちゃんは冬が好きって言ってた。春は何にも季節のせいに出来ないから嫌いだって言ってた。ぼくは東京に来てから春が好きになった。四月になったら本当に桜って咲くんだね、桜の花びらが散るのってあんなに流れていくようなんだね。北の国での四月は始まりと終わりがグズグズに混じり合う、くすんだ季節だった。ぼくはこれまでなんにも季節のせいにしたことがなかった。そんな発想を持ったことがなかった。この街の人たちは環境の変化に敏感だ。それは周囲のこともそうだし、自分の身体や心のことについても。季節や気圧や出会いと別れ、自分の歩む道や歩んできた道を結びつける。生きることに精一杯だ。ぼくも春のせいにして少しは楽しくなれる。桜が咲いた。また四月が来たよ。

刻む

得ると失うがあって、得るを得てしまうと失うを忘れてしまうのはいったいどうして愚かなことだと思う。美化も卑下もしたくない。いろんなひとがいます。いろんなひとがいます。わすれないために歌を歌わないと。無駄なことなんて何にもなかったよね。破滅的なものも美しかったけど丁寧に生きるを出来る人たちも美しい。どっちかしか無いなんてこともないから今を掬うのが間違いないし間違えたくない。痛みを知るほど痛みに過敏になっていくのはよくない。身体は適応していくから、適応したい未来を日々自分に用意してあげるしかない。理性や知性はきっとそのためにある。生存ではなく、生きるをするのは、きっと繊細なことだ。惰性はクソ、新し続けろ。

あまい

あの雨の音、四角い部屋でのことをぼくは忘れたくない。少なくとも、ぼくがぼくでいる限りは。永遠なんてほんとはないのかも知れないから、こうして電脳の海の片隅に記しておく。身体と心があるからここに居られる。脳のてっぺんから電気信号が足の先まで流れる。言葉はいつだって後付けだから、名前がつく前に、名前をつける前に、ひとつひとつに集中して、食べていく。理屈っぽいのに信じてないから、いつだって体感しないとわからない。言葉が淀みなく流れるのは誰かのおかげだ。魔法はこの身体に宿る。日記に書けない不幸とおんなじくらい本当なんだから、秘密は日記に書かない。誰にもわかって欲しくないことがあってもいいなんて、大森靖子さんから教えてもらった。時を途切って生きてきたけど、なかったことにはならなかったな。そういう生きものに育ってきたから、心配要らなかったね。傷付いてきてよかった。

ヒカリエ

3/18。人生で初めて自分で曲を作って、自分でメンバーを集めて組んだバンドの、最後のライブが終わった。自分でメンバーを集めて、とは言ったものの、思い返すとほとんど偶然のような形で、いつの間にか何となく決まっていた。
音楽なんて聴かないし、ましてや自分でやるなんて到底無理だと思っていた頃、売れてるバンドが「バンドは奇跡」だとか言っているのを何かで見た。当時はただの別世界の、成功者の戯言だと思っていたけれど、今は少しわかるような気がする。収まるべきところに収まるようにバンドが組まれ、そのメンバーじゃなきゃ作られなかっただろう曲が出来、普通に暮らしていたら何の接点も無かったかも知れない人達の前で披露される。運命だとか奇跡だとか、強すぎて匂いがきつい言葉でたびたび表されるのも仕方がないと思うし、暮らしの中でそういう言葉に非常に近いところにある、数少ない場のひとつかも知れない。
ある事柄や人が自分の人生に密接すぎた時に、ぼくは「出会えてよかった」とかは逆に思わない。どちらかというと「出会うに決まっていた」という感覚を想う。色々あったと言えるほど色々無かったし、何も無かったというには何かが有ったし、目に見えるような大きな成果が残ったバンドではなかったけれど、このバンドが無い人生は、おれにはあり得なかった。有難う、と思う。もしこうなることが決まっていたとしても、それでも、有難う、と思う。有難い。こんな素敵なことは、有るのが難しい。
 
需要の無い悲しみについて。みんなわかりやすい悲しみが好きだ、と思う。例えば、物凄く好きだったのに振られた、とか、大好きな家族が亡くなった、だとか。でも世にある悲しみの多くがわかりやすいかというと、そんなことは無いと思う。物凄く好きだったけど、価値観は合わないなと正直思っていたかも知れないし、将来を考えると恋人の収入には大きな不安があったかも知れない。大好きだったけど介護が大変だった家族が亡くなって、本当に悲しいけれど内心ホッとしているかも知れない。そんなわかりにくい悲しみには、需要が無い。みんなドラマを求めている。笑って泣けて怒って共感できるドラマを求めている。
ぼくが抱えていた悲しみには、需要が無かった。倫理問題、責任問題、誰が良くて誰が悪い。誰に悲しむ権利があって、誰に責める権利がある。そんなことはわかるし、そしてわからなくて、ただそこに、悲しい苦しいつらい痛い、なんかもうぜんぜん生きていける気がしない。そういう気持ちがあることは確かで、そしてそんなことには誰も興味が無かった
良い曲を作りたいという気持ちは少なからずあった。でもそれ以上にぼくは、この気持ちをどこかに吐き出さなくては頭と心と身体がパンクしてしまう、その一心で、この気持ちを、出来るだけそのままの感触で形に残すことを目指し、言葉と感性を尽くした。
だから作曲が楽しいと思ったことなど、一度も無かった。ギターを抱えて、感覚を研ぎ澄ますフリをし、この気持ちにはこのメロディ、この気持ちにはこの速さ、リズム、フレーズだと、何度も何度も弾いて、歌って、叫んで、録音し、試した。
音楽的には、拙い曲ばかりだったと思う。言いたいこと、歌いたいこと。ですら無かった。誰にも見せられない日記の出来損ないのような、ひとりごとのような歌詞を乗せて、歌えるか歌えないかギリギリのキーで、喚くような曲ばかり作った。
そんな曲ばかり演奏していたのに、カッコいい、と言ってくれる人が少し出来た。今日のライブ良かったよ、と言ってくれる人が出来た。企画ライブにぜひ出てください、と言ってくれる人が出来た。少し音楽が楽しくなった。
最初は自分を救いたかっただけなのに、誰かに楽しんで欲しいと思った。
そしてバンドを組んでから約3年、定期的な活動を止めてから約2年。1年ぶりで、そして最後のライブ。何人かが「あの曲やるんでしょ」「あの曲聴きたい」って言ってくれた。下手な演奏に乗って、沢山の人が最前で暴れてくれた。
別に長年の活動の中で満を辞して企画したワンマンライブとかでなく、大学時代に所属していた軽音サークルの、内輪の、ほんの小さなライブだったけれど、こんなに眩しいことが、ありふれた暮らしの中にあり得るだろうか。

 

音楽が無いと生きていけない、音楽に救われた。そんなドラマチックな経験は、ぼくには無い。音楽が無くたって何だかんだ生きていただろうし、音楽よりマンガの方が好きだし詳しいとも思う。でも、もしかしたら。ぼくも音楽に救われたと言っていいのかも知れない。音楽をやっていて、良いことが沢山あった。良い出会いも沢山あった。有るに決まっていたし、出会うに決まっていたのかも知れない。でも、この程度のことを、人は奇跡と呼ぶのかも知れないと思う。本当にありがとうございました。

あさ

昨晩は久しぶりに美味い酒を飲み、友達の家に泊まった。人が居る朝に朝を意識するのは、単に陽射しのよい部屋だったのか、朝陽が似合うひとなのか。いそいそと準備をする姿をボーッと眺めていた。本当にぼくが居ることなど意にも解していない様子で、いちばん空気になったみたいだった。うつくしい暮らしをするなあと思った。空気や概念になって、何の齟齬も介さずに、暮らしや未来を眺めていたいと思う人のひとりだ。もう5年来の付き合いになる、と昨日気付いて、あんまりそんな感じしないなあと思った。1年に1回も会っていないから、会うたびにストーリーが進む。進むけどマイペースなひとだから、地続きには感じる。月間連載という感じ。もうぼくの右目なんか、要らないんだろうな。ぼくの仕事も多分もう終わったから、パラレルパラレル。またたまに遊ぼうね。

撫でる

この世の全ては全部おれのためにある、それは傲慢ではない、いや、傲慢だから、傲慢にならないよう意識をしなくてはいけない。意識をしてちゃんとおいしいところをいただく、ひとにはやさしくする。消費は意思がないからよくないと言われた、非常にわかって嬉しくすらなったけど、ちゃんと意思を持って消費されにいくんだよって思ったんだよ。おんなじなようでちゃんとちがう、というかほとんど人の受容体からするとおんなじだから、そこは感情に委ねていいとこだと思う。でもちゃんと理性も忘れないように、大事なのは右脳と左脳のバランスだ。これはありとあらゆることの話だ。だらしのなさも光になる、うつくしさも毒となる、とくべつはつくるものだと最近よくおもう!ただのにんげんごときにとってつまらないほど、地獄はつまらなくないんだと思う。宮崎駿御大が大事なものほどめんどくさいと言っていた。いきるのは結構つらいし、ただひたすらにめんどくさいだけ。